日本人眼中的悬空寺栈道遗迹

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在浑源县北岳恒山的山麓,有个悬空寺。自从我们能够访问那里之后,已经重新修整了好多次了。不过,这一回的整修,规模最大。
在悬空寺对面的岩壁上,公开了新的遗迹。在照片中间,您能看明白吧,横向挖掘出一排洞穴。这是北魏时代栈道的遗迹。据说在这些洞穴里,插入粗大的横木,再在上面架上木板,建造成一匹马能够行走的栈道。
右侧看到的混凝土是恒山水库,现在被拦堵截住了,谷底变成了一条小河,可是在那个时代,据说这里是条大河。话虽这么说,可也不是什么时候都有水,据说下雨的时候就变成了河,不下雨的时候,就是人马通行的道路。
我想,要是那样的话,也就没有必要特意修筑栈道之类的设施了,不过,这条道路曾经是从北魏的都城·平城(大同),到北魏的重要都市、即迁都的目的地洛阳的干线道路。总不能说等到雨住了,(再行路)也可以的吧。
同样的栈道痕迹,在从灵丘县的县城,去南天门自然植物园的途中,以及觉山寺附近一带也有。在唐河对岸的岩壁上,同样地挖掘出了横列一排的洞穴。不过,悬空寺这边的洞穴,由于最近的采石,正在不断地崩塌下去。
高见邦雄
2009年5月27日
以下是日文的原文,供懂日语的网友参阅
渾源県の北岳恒山のふもとに懸空寺があります。私たちが訪れるようになってからも、何回も何回も整備がやりなおされています。でも、今回のものがいちばん規模が大きい。
懸空寺の向かいの岩壁に遺跡が新しく公開されました。写真の中ほど、横一列に穴が掘られているのがわかるでしょ。北魏時代の桟道の遺跡です。この穴に、太い横木を差し込み、そのうえに板を渡して、馬1頭が歩けるほどの桟道をつくったのだそうです。
右側にみえるコンクリートは、恒山ダムです。いまはせき止められて、谷の底は小さな川になっていますが、その時代もここは川だったそう。といっても、いつも水があるわけではなく、雨のときは川になり、そうでないときは人馬が通う道になっていたそう。
だったら、わざわざ桟道なんてつくる必要がないじゃないかと、私は思ったんですけど、でも、この道は、北魏の都?平城(いまの大同)から、北魏の重要都市で遷都先になる洛陽までの幹線道路だったのです。雨が降りやむまで待てばいい、といったわけにはいかなかったんでしょう。
同じような桟道の跡は、霊丘県の県城から南天門自然植物園にむかう途中、覚山寺のあたりにもありました。唐河の対岸の岩壁に同じように横一列に穴が掘られていたのです。でも、こちらは、最近の採石によって、だんだん崩されていっています。