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木米 VS 道八

(2013-08-01 15:58:46)
标签:

青木木米

高桥道八

煎茶道

煎茶道具

茶席

分类: 茶之心

木米 <wbr>VS <wbr>道八

木米 <wbr>VS <wbr>道八

木米 <wbr>VS <wbr>道八

七拼八凑翻了一段青木木米的简介,实在没力气再翻高桥道八的,对不住道八家了,好在猜猜也能看懂个八九不离十。

 

·         青木木米,1767年出生于京都。幼名八十八。字佐平。号青来、百六散人、古器观、亭云楼、九九鳞、木米、晚年因失聪改号聾米。29岁于木村蒹葭堂书库有感于清乾隆海盐朱笠亭所著《陶说》,遂以陶为志,入门于奥田颍川。36岁受聘于加贺藩前田家,致力于复原失传的加贺九谷烧。青木木米,一生倾慕于中国古陶瓷,独自开启了中国古陶瓷的摹古世界。其制作的陶瓷器以煎茶器为主,擅长白瓷、青瓷、赤绘、青花等多个领域的制作技艺。同时,青木木米也是日本受中国明清文人画影响而形成的南宗画的出色画家,与同时代的著名文人、画家如高芙蓉、木村蒹葭堂、田能村竹田、赖山阳等皆有交游。青木木米于1833年辞世,享年67岁。

 

 

·         初代 道八(元文5年(1740年)- 文化元年4月26日(1804年6月4日))

伊勢亀山藩出身。字「周平」名「光重」。号は「松風亭空中」とも称する。次男のため士分を離れ、京に出て陶器職人となる。後独立し粟田口に開窯。活躍期は煎茶隆盛期でもあり、数多くの煎茶器の名品を制作した。自らも池大雅、上田秋成、売茶翁らの文人と交際。南画を趣味とする。

·         初代 尾形周平(1788年?1800年?-1829年?1830年?)

初代三男、仁阿弥道八の弟。幼名「熊蔵」名「光吉」。奥田頴川や兄?仁阿弥道八の元で修行の後独立した。尾形乾山にあやかり「尾形」姓を名乗る。青華、色絵、青磁を得意とし、煎茶器(特に急須、湯沸、茶碗)に名品が多い。

·         二代 道八(天明3年(1783年) - 安政2年5月26日(1855年7月9日))

初代の次男。「仁阿弥道八」の名で著名である。

·         三代 道八(文化8年(1811年) - 明治12年(1879年)8月2日)

二代の長男。幼名「道三」、名「光英(みちふさ)」。号「華中亭」「道翁」。嘉永3年(1850年)、高松藩に招かれ「讃岐窯」を開窯した。明治2年(1869年)、佐賀藩の招聘により伊万里焼技術指導。仁和寺宮より法橋に任じられる。青花、白磁の製作にも成功。晩年は祖父の桃山窯に引退。技法としては青磁、雲鶴模様、三島手、刷毛目を得意とし、煎茶器の名品を多数製作した。

·         四代 道八(弘化2年(1845年)5月 - 明治30年(1897年)7月26日)

三代の息子。名「光頼」号「華中亭」。明治7年(1874年)襲名。京都府勧業場の御用係として活躍。青花磁?彫刻?白磁を得意とする。

·         五代 道八(明治2年(1869年)- 大正4年(1914年))

本名「小川勇之助」。滋賀県甲賀郡出身。四代死去時に子息幼少のため、一時的に名跡を嗣ぐ。

·         六代 道八(明治14年(1881年)- 昭和16年(1941年))

四代次男。本名「英光」、号「華中亭」。先代、及び四代の陶法をつぎ、染付煎茶器に名品がある。

·         七代 道八(明治43年(1910年)11月21日 - 昭和58年(1983年))

本名「光一」。

·         八代 道八(昭和13年(1938年)12月6日 - 平成23年(2011年)9月16日

七代長男。京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科卒業、京都府訓練校にて轆轤成形、京都市工業試験場にて釉薬を学ぶ。父?七代道八に師事。昭和58年(1983年)に襲名。京都市出身。2011年9月16日肝臓ガンのため、京都市内の病院にて逝去。73歳。

 

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