司馬遷:太史公自序(節選)
(2021-04-20 04:18:36)
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司馬遷:太史公自序(節選)
(史記·卷百三十)
太史公曰:「先人有言:『自周公卒五百歲而有孔子。孔子卒后至於今五百歲,有能紹明世,正易傳,繼春秋,本詩書禮樂之際?』意在斯乎!意在斯乎!小子何敢讓焉。」
上大夫壺遂曰:「昔孔子何為而作春秋哉?」太史公曰:「余聞董生曰:『周道衰廢,孔子為魯司寇,諸侯害之,大夫壅之。孔子知言之不用,道之不行也,是非二百四十二年之中,以為天下儀表,貶天子,退諸侯,討大夫,以達王事而已矣。』子曰:『我欲載之空言,不如見之於行事之深切著明也。』夫春秋,上明三王之道,下辨人事之紀,別嫌疑,明是非,定猶豫,善善惡惡,賢賢賤不肖,存亡國,繼絕世,補敝起廢,王道之大者也。易著天地陰陽四時五行,故長於變;禮經紀人倫,故長於行;書記先王之事,故長於政;詩記山川谿谷禽獸草木牝牡雌雄,故長於風;樂樂所以立,故長於和;春秋辯是非,故長於治人。是故禮以節人,樂以發和,書以道事,詩以達意,易以道化,春秋以道義。撥亂世反之正,莫近於春秋。春秋文成數萬,其指數千。萬物之散聚皆在春秋。春秋之中,弒君三十六,亡國五十二,諸侯奔走不得保其社稷者不可勝數。察其所以,皆失其本已。故易曰『失之豪釐,差以千里』。故曰『臣弒君,子弒父,非一旦一夕之故也,其漸久矣』。故有國者不可以不知春秋,前有讒而弗見,后有賊而不知。為人臣者不可以不知春秋,守經事而不知其宜,遭變事而不知其權。為人君父而不通於春秋之義者,必蒙首惡之名。為人臣子而不通於春秋之義者,必陷篡弒之誅,死罪之名。其實皆以為善,為之不知其義,被之空言而不敢辭。夫不通禮義之旨,至於君不君,臣不臣,父不父,子不子。夫君不君則犯,臣不臣則誅,父不父則無道,子不子則不孝。此四行者,天下之大過也。以天下之大過予之,則受而弗敢辭。故春秋者,禮義之大宗也。夫禮禁未然之前,法施已然之后;法之所為用者易見,而禮之所為禁者難知。」
壺遂曰:「孔子之時,上無明君,下不得任用,故作春秋,垂空文以斷禮義,當一王之法。今夫子上遇明天子,下得守職,萬事既具,咸各序其宜,夫子所論,欲以何明?」
太史公曰:「唯唯,否否,不然。余聞之先人曰:『伏羲至純厚,作易八卦。堯舜之盛,尚書載之,禮樂作焉。湯武之隆,詩人歌之。春秋采善貶惡,推三代之德,褒周室,非獨刺譏而已也。』漢興以來,至明天子,獲符瑞,封禪,改正朔,易服色,受命於穆清,澤流罔極,海外殊俗,重譯款塞,請來獻見者,不可勝道。臣下百官力誦圣德,猶不能宣盡其意。且士賢能而不用,有國者之恥;主上明圣而德不布聞,有司之過也。且余嘗掌其官,廢明圣盛德不載,滅功臣世家賢大夫之業不述,墮先人所言,罪莫大焉。余所謂述故事,整齊其世傳,非所謂作也,而君比之於春秋,謬矣。」
於是論次其文。七年而太史公遭李陵之禍,幽於縲紲。乃喟然而嘆曰:「是余之罪也夫!是余之罪也夫!身毀不用矣。」退而深惟曰:「夫詩書隱約者,欲遂其志之思也。昔西伯拘羑里,演周易;孔子厄陳蔡,作春秋;屈原放逐,著離騷;左丘失明,厥有國語;孫子臏腳,而論兵法;不韋遷蜀,世傳呂覽;韓非囚秦,說難、孤憤;詩三百篇,大抵賢圣發憤之所為作也。此人皆意有所郁結,不得通其道也,故述往事,思來者。」於是卒述陶唐以來,至于麟止,自黃帝始。
太史公自序(たいしこうじじょ)
太史公曰く、先人、言へること有り。周公卒自り、五百年にして孔子生まれり。孔子が卒後より、今に至りては五百歳なり。能く明世を紹ぎ、『易伝』を正しくし、『春秋』を継ぎ、『詩』、『書』、『禮』、『楽』を本にするものが有る際にならんと。意斯に在らん、意斯に在らん。少子何(なん)ぞ敢へて譲らんや。
上大夫曰く、昔孔子が何すれぞ『春秋』を作れるか。太史公曰、余、董生に聞けり、曰く、周道の衰廃に、孔子魯の司寇として、諸侯が之を害し、大夫が之を雍ぎたり。孔子は言之用いられず、道之行はざるを知り、是非を二百四十二年之中にし、以て天下の儀表と為す。天子を貶し、諸侯を退け、大夫を討ち、以て王事を達するのみと。子曰く、我れ空言として之を載せんと欲すれども深切たりて著明する行事に之を見るに如かざらんと。夫の『春秋』は、上三王の道を明し、下人事の紀を辨へ、嫌疑を別ち、是非を明し、猶予を定め、善善たり、悪悪たり、賢賢たり、不肖を賤しみ、亡国を存し、絶世を継ぎ、弊れたるを補ひ廃したるを起す。王道の大なる者なり。『易』、天地、陰陽、四時、五行を著し、故に変に長ず。『禮』、人倫を経紀み、故に行に長ず。『書』、先王之事を記し、故に政に長ず。『詩』、山川、渓谷、禽獣、草木、牝牡、雌雄を記し、故に風に長ず。『楽』、楽が立つる所以なり、故に和に長ず。『春秋』、是非を辨へ、故に人を治むるに長ず。是故に『禮』を以て人を節し、『楽』を以て和を発し、『書』を以て事を道ひ、『詩』を以て意ひを達し、『易』を以て化りを道ひ、『春秋』を以て義を道ふ。乱世を撥めて之を正しきに反すに、『春秋』に近き莫し。『春秋』は、文成数万なり、其の数千なり。万物之散聚、皆『春秋』に在り。『春秋』之中、君を弑すが三十六なり、亡国が五十二なり、諸侯が奔走して其の社稷を保つを得ざる者は、数へ勝ふ可からず。其の所以を察れば、皆其の本を失ひたるなり。故に『易』曰く、之毫厘を失てば差千里を以てす。故に曰く、臣、君を弑し、子、父を弑すは、一旦一夕之故に非ざるなり、其れ漸に久しきなりと。故に国有る者は、以て『春秋』を知らざる可からず。前讒り有れども見へず、後ろに賊有れども知らず。人臣たる者は、以て『春秋』を知らざる可からず。経事を守れども其れ宜を知らず、変事に遇へども、其れ権る知らず。人君と父たりて、『春秋』之義を通らぬ者は、必ず首悪之名を蒙らる。人臣と子たりて『春秋』之義を通らぬ者は、必ず簒ひと弑すに陥り、誅され、死罪之名なり。其れ実は、皆以て善と為し、之を為す其れ義を知らず、空言されども敢へて辞せず。夫れ礼儀之旨を通らざれば、君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらざるに至る。君君たらざらば、則犯ざる。臣臣たらざらば、則誅さる。父父たらざらば、則道無し。子子たらざらば、則(孝ならず。此四行なる者は、天下之大過なり。以て天下之大過を之に予ふらば、則受付て敢へて辞せず。故に『春秋』なる者は、礼儀之大宗なり。夫の禮は未然之前に禁じ、法は已然之後に施すなり。法之用きを為す所は見易く、而ども禮之禁ずる所は知り難し。
壷遂曰く、孔子之時、上名君無く、下任用を得ざるに、故に『春秋』を作り、空文を垂れ、以て礼儀を断め、一つ王之法に当つ。今、夫子上明天子に遇ひ、下職を守るを得、万事既に具り、咸各其の宜を序づ。夫子論ずる所は、何をか以て明さんと欲するか。
太史公曰く、唯唯たり、否否たり、然らず。余れ之を先人に聞けり、曰く、伏羲が純厚に至り、『易』の八卦を作れり。堯、舜之盛りは、『尚書』之を載せ、『禮』、『楽』作られたり。湯、武之隆になるは、詩人之を歌ふ。『春秋』善を採り悪を貶し、三代之徳を推し、周室を褒め、独刺譏に非ざるのみと。漢の興ずる以来、明天子に至り、符瑞を獲、封禅を建て、正朔を改め、服色を易へ、穆淸に命を受け、澤の流れ罔極たり。海外の殊なる俗、訳するを重ね、塞を款き、献げと見ゆるに来んと請ふ者は、道ひ勝ふ可からず。臣下百官、聖徳の誦するに力めども、猶其の意ひを宜べ尽す能はざるがごとし。且子賢の能にして用いられずんば、国有る者の恥なり。主上の明聖にして徳の布聞せずんば、有司の過ちなり。且余、嘗て其の官を掌りき、明聖の盛徳を廃して載せず、功臣、世家、賢大夫之業を滅ぼして述べず、先人の言ふ所を墜ひ、罪莫大ならん。余、所謂故事を述べ、其の世伝を整斉するは、所謂作るに非らざるなり。而ども、君、之を『春秋』に比べ、謬らんことなり。