太宰治的《如是我闻》
(2015-01-15 16:41:50)
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太宰治志贺直哉如是我闻 |
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如是我闻围观俩文豪掐架其实挺有趣的,中间也各种笑点。尤其是最后一篇,太宰大约已经打算自杀之前扔出去的最后一弹。本来也不打算混下去了,基本上到指着对方鼻子骂的地步。被骂成这样对方自杀了,我要是志贺要憋屈的吐出血来。
“彼は所謂よい家庭人であり、程よい財産もあるようだし、傍に良妻あり、子供は丈夫で父を尊敬しているにちがいないし、自身は風景よろしきところに住み、戦災に遭ったという話も聞かぬから、手織りのいい紬つむぎなども着ているだろう、おまけに自身が肺病とか何とか不吉な病気も持っていないだろうし、訪問客はみな上品、先生、先生と言って、彼の一言隻句にも感服し、なごやかな空気が一杯で、近頃、太宰という思い上ったやつが、何やら先生に向って言っているようですが、あれはきたならしいやつですから、相手になさらぬように、(笑声)それなのに、その嫌らしい、(直哉の曰く、僕にはどうもいい点が見つからないね)その四十歳の作家が、誇張でなしに、血を吐きながらでも、本流の小説を書こうと努め、その努力が却かえってみなに嫌われ、三人の虚弱の幼児をかかえ、夫婦は心から笑い合ったことがなく、障子の骨も、襖ふすまのシンも、破れ果てている五十円の貸家に住み、戦災を二度も受けたおかげで、もともといい着物も着たい男が、短か過ぎるズボンに下駄ばきの姿で、子供の世話で一杯の女房の代りに、おかずの買物に出るのである。そうして、この志賀直哉などに抗議したおかげで、自分のこれまで附き合っていた先輩友人たちと、全部気まずくなっているのである。それでも、私は言わなければならない。”
太宰当时个人状态很不好,所以中间有很多话完全就是怨气和个人攻击也不比对方有道理多少。但是看到上面那段,让人有种内心被划了几刀的感觉。虽然觉得他这纯粹自找,虽然觉得他不一定有道理,还是让人有点想站到他那边去。
《津轻》文中太宰先发难其实也没错,不过有道是文人自古相轻,感觉也就是喝酒后嘴贱贫两句的程度,掺杂了很多自嘲的成分。后来在文中也又夸了回来,要当作无伤大雅的玩笑看也未为不可。不过直贺事后说的自己事先没考虑太宰精神身体状况就发言的伪道歉可真是狡猾。要是太宰听到准会被再气哭一次www
“文芸の座談会での太宰君の場合は、 太宰君が心身ともに、それほど衰えている人だということを知っていれば、
もう少し言いようがあったと、今は残念に思っている……”
我宁愿他没说这话,管他死人活人,站出来大大方方逐条把太宰骂回去,这样反而让人尊敬的多。“要是知道他(各种意义上)病成这样,我就体谅他个病人,少说几句~”呵呵,好高的姿态。すごく偉そうに~以自己当时立于顶端的身份,随口贬两句就会造成对方被同界排挤,也是心知肚明的吧。大概果然是坂口安吾所说的“志賀直哉に文学の問題はない”?联想下织田作之助,还真是擅长和快死的后辈文人打笔杖呢。