加载中…
个人资料
  • 博客等级:
  • 博客积分:
  • 博客访问:
  • 关注人气:
  • 获赠金笔:0支
  • 赠出金笔:0支
  • 荣誉徽章:
正文 字体大小:

电影《海角七号》里的七封情书

(2011-01-31 17:36:21)
标签:

阿嘉

台湾

海角七号

日文

情书

杂谈

分类: 电影梦

〖关于导演〗

  大胆的冒险实践家:魏德圣

  曾任杨德昌《麻将》副导演及电影《双瞳》策划。1999年以《七月天》惊艳台湾影坛;2004年,为了突破台湾电影市场受限于资金规模而无力拍摄大格局、大制作的现实困境,自筹250万元资金,拍摄了《赛德克.巴莱》5分钟试拍片,企图证明台湾的影像创作实力,再次震惊台湾影坛。2008年推出个人首部剧情长片《海角七号》,耗资新台币5000万元拍摄而成,被誉为是全台湾电影圈都期待拍出的一部电影。

 

  影片故事:

  男主角给恋人写了7封充满诗意的情书,却没有被发送出去。60年后,阴差阳错当上邮差的摇滚歌手阿嘉发现了这7封信,决定将信件送到收信人手中。这段爱情与梦的记述感动了无数观众。

 

〖电影里的七封情书〗

  海角七号 - 七封情书 (中、日文对照)

  ●第一封信

  (中文)

  一九四五年十二月二十五日,友子,太阳已经完全没入了海面。我真的已经完全看不见台湾岛了。你还站在那里等我吗?

  友子,请原谅我这个懦弱的男人,从来不敢承认我们两人的相爱。我甚至已经忘记,我是如何迷上那个不照规定理发,而惹得我大发雷霆的女孩了。友子,你固执不讲理、爱玩爱流行,我却如此受不住的迷恋你。只是好不容易你毕业了,我们却战败了。我是战败国的子民,贵族的骄傲瞬间堕落为犯人的枷。我只是个穷教师,为何要背负一个民族的罪?时代的宿命是时代的罪过,我只是个穷教师。我爱你,却必须放弃你。

  (日文)

  一九四五年十二月二十五日、友子、太阳がすっかり海に沈んだ。これで、本当に台湾岛が见えなくなってしまった。君はまだ、あそこに立っているのかい。

  友子、许しておくれ。この臆病な仆を、二人のことを、决して认めなかった仆を。どんな风に、君に惹かれるんだったっけ。君は髪型の规则も破るし、よく仆を怒らせる子だったね。友子、君は意地っ张りで、新しい物好きで、でも、どうしょうもないぐらい、君に恋をしてしまった。だけど、君がやっと卒业した时、仆たちは戦争に败れた。仆は败戦国の国民だ。贵族のように、傲慢だった仆たちは、一瞬にして、罪人の首枷を挂けられた。贫しい一教师の仆が、どうして民族の罪を背负えよう。时代の宿命は、时代の罪。そして仆は、贫しい教师に过ぎない。君を爱していても、谛めなければならなかった。

  ●第二封信

  (中文)

  第三天,该怎么克制自己不去想你?你是南方艳阳下成长的学生,我是从飘雪的北方渡洋过海的老师。我们是这么的不同,为何却会如此的相爱?我怀念艳阳、我怀念热风。我犹有记忆你被红蚁惹毛的样子。我知道我不该嘲笑你。但你踩着红蚁的样子真美,像踩着一种奇幻的舞步,愤怒、强烈又带着轻挑的嬉笑。友子,我就是那时爱上你的。

  (日文)

  三日目、どうして君のことを思わないでいられよう。君は南国の眩しい太阳の下で、育った学生。仆は、雪の舞う北から、海を渡ってきた教师。仆らはこんなにも违うのに、何故斯うも惹かれ合うのか。あの眩しい太阳が懐かしい、暑い风が懐かしい。まだ覚えているよ、君が赤蚁に腹を立てる様子。笑っちゃいけないって分かってた。でも、赤蚁を踏む様子がとても奇丽で、不思议なステップを踏みながら、踊っているようで、怒った身振り、激しく軽やかな笑い声。友子、その时、仆は恋に落ちたんだ。

  ●第三封信

  (中文)

  多希望这时有暴风,把我淹没在这台湾与日本间的海域。这样我就不必为了我的懦弱负责。友子,才几天的航行,海风所带来的哭声已让我苍老许多。我不愿离开甲板,也不愿睡觉。我心里已经做好盘算,一旦让我着陆,我将一辈子不愿再看见大海。海风啊,为何总是带来哭声呢?爱人哭、嫁人哭、生孩子哭。想著你未来可能的幸福我总是会哭。只是我的泪水,总是在涌出前就被海风吹干。涌不出泪水的哭泣,让我更苍老了。可恶的风,可恶的月光,可恶的海。

  十二月的海总是带著愤怒。我承受著耻辱和悔恨的臭味,陪同不安静地晃荡。不明白我到底是归乡,还是离乡!

  (日文)

  强风が吹いて、台湾と日本の间の海に、仆を沈めてくれれば良いのに。そうすれば、臆病な自分を、持て余さずに済むのに。友子、たっだ数日の航海で、仆はすっかり老け込んでしまった。潮风が连れて来る泣き声を闻いて、甲板から离れたくない、寝たくもない。仆の心は决まった、陆に着いたら、一生、海を见ないでおこう。潮风よ、何故泣き声を连れてやって来る。人を爱して泣く、嫁いで泣く、子供を生んで泣く。君の幸せな未来図を想像して、涙が出そうになる。でも、仆の涙は潮风に吹かれて、溢れる前に乾いてしまう。涙を出さずに泣いて、仆は、まだ老け込んだ。憎らしい风、憎らしい月の光、憎らしい海。

  十二月の海は、どこか怒っている。耻辱と悔恨に耐え、騒がしい揺れを伴いながら。仆が向かっているのは、故郷なのか、それとも、故郷を後にしているのか。

  ●第四封信

  (中文)

  傍晚,已经进入了日本海。白天我头痛欲裂。可恨的浓雾,阻挡了我整个白天的视线,而现在的星光真美。记得你才是中学一年级小女生时,就胆敢以天狗食月的农村传说来挑战我月蚀的天文理论。再说一件不怕你挑战的理论,你知道我们现在所看到的星光,是自几亿光年远的星球上所发射过来的吗?哇,几亿光年发射出来的光,我们现在才看到。几亿年前的台湾岛和日本岛又是什么样子呢?山还是山,海还是海,却不见了人。我想再多看几眼星空,在这什么都善变的人世间里,我想看一下永恒。遇见了前往台湾过冬的乌鱼群,我把对你的相思寄放在其中的一只,希望你的渔人父亲可以捕获。友子,尽管他的气味辛酸,你也一定要尝一口。你会明白,我不是抛弃你,我是舍不得你。我在众人熟睡的甲板上反覆低喃,我不是抛弃你,我是舍不得你。

  (日文)

  夕方、日本海に出た。昼间は头が割れそうに痛い。今日は浓い雾が立ち込め、昼の间、仆の视界を遮った。でも、今は星がとても奇丽だ。覚えてる、君はまだ中学一年生だった顷、天狗が月を食う农村の伝说を引っ张り出して、月食の天文理论に挑戦したね。君に教えておきたい理论がもう一つある。君は、今见ている星の光が、数亿光年の彼方にある星から放たれてるって知ってるかい。わぁ~、数亿光年前に放たれた光が、今、仆たちの目に届いているんだ。数亿年前、台湾と日本は、一体どんな様子だったろう。山は山、海は海、でも、そこには谁もいない。仆は、星空が见たくなった。虚ろやすいこの世で、永远が见たくなったんだ。台湾で、冬を越す雷鱼の群れを见たよ。仆はこの思いを、一匹に托送。渔师をしている君の父亲が、捕まえてくれることを愿って。友子、悲しい味がしても、食べておくれ。君には分かるはず、君を舍てたのではなく、泣く泣く手放したということを。皆が寝ている甲板で、低く何度も缲り返す。舍てたのではなく、泣く泣く手放したんだと。

  ●第五封信

  (中文)

  天亮了,但又有何关系。反正日光总是带来浓雾。黎明前的一段恍惚,我见到了日后的你韶华已逝,日后的我发秃眼垂。晨雾如飘雪,覆盖了我额上的皱纹。骄阳如烈焰,焚枯了你秀发的乌黑。你我心中最后一点余热完全凋零。友子,请原谅我这身无用的躯体。

  (日文) 

  夜が明けた、でも、仆には関系ない。どっち道、太阳は浓い雾を连れて来るだけだ。夜明け前の恍惚の时、年老いた君の优美な姿を见たよ。仆は髪が薄くなり、目も垂れていた。朝の雾が舞う雪のように仆の额の皱を覆い、激しい太阳が君の黒髪を焼き尽くした。仆らの胸の中の最後の余热は、完全に冷め切った。友子、无能な仆を许しておくれ。

  ● 第六封信

  (中文)

  海上气温十六度、风速十二节、水深九十七米。已经看见了几只海鸟,预计明天入夜前我们即将登陆。友子,我把我在台湾的相簿留给你了。就寄放在你母亲那儿。但我偷了其中一张。是你在海边玩水的那张。照片里的海没风也没雨,照片里的你,笑得就像在天堂。不管你的未来将属于谁,谁都配不上你。原本以为我能将美好回忆妥善打包,到头来却发现我能携走的只有虚无。我真的很想你。啊,彩虹!但愿这彩虹的两端,足以跨过海洋,连结我和你。

  (日文)

  海上気温十六度、风速十二节、水深九十七メートル。海鸟が少しずつ见えてきた、明日の夜までには上陆する。友子、台湾のアルバムを君に残してきたよ、お母さんの所に置いてある。でも、一枚だけこっそりもらってきた、君が海辺で泳いでいる写真。写真の海は风もなく、雨もなく、そして君は天国にいるみたいに笑っていん。君の未来が谁の者でも、君に似合う男なんていない。美しい思い出は、大事に持ってこようと思ったけど、连れてくれたのは虚しさだけ。思うのは、君のことばかり。あ、虹だ。虹の両端が海を越え、仆と君を、结び付けてくれますように。

  ● 第七封信

  (中文)

  友子,我已经平安着陆。七天的航行,我终于踩上我战后残破的土地,可是我却开始思念海洋。这海洋为何总是站在希望和灭绝的两个极端?这是我的最后一封信,待会我就会把信寄出去。这容不下爱情的海洋,至少还容得下相思吧?友子,我的相思你一定要收到,这样你才会原谅我一点点。我想我会把你放在我心里一辈子,就算娶妻、生子,在人生重要的转折点上一定会浮现你的身影。你提着笨重的行李逃家,在遣返的人潮中,你孤单地站着。你戴着那顶存了好久的钱才买来的白色针织帽,是为了让我能在人群中发现你吧!我看见了,我看见了,你安静不动地站着。你像七月的烈日,让我不敢再多看你一眼。你站得如此安静,我刻意冰凉的心,却又顿时燃起。我伤心,又不敢让遗憾流露。我心里嘀咕,嘴巴却一声不吭。我知道,思念这庸俗的字眼,将如阳光下的黑影,我逃他追,我追他逃,一辈子。

  友子,我将我的愧疚写在这最后一封信里。因为,我无法当面向你忏悔,如果不这么做,那么,我丝毫都不能原谅自己。

  我会假装你忘了我,假装你将你我的过往,像候鸟一般从记忆中迁徙。假装你已走过寒冬迎接春天。我会假装,一直到自以为一切都是真的!。然后,祝你一生永远幸福!

  (日文)

  友子、无事に上陆したよ。七日间の航海で、戦後の荒廃した土地に、渐く立てたというのに、海が懐かしいんだ。海はどうして、希望と绝望の両端にあるんだ。これが、最後の手纸だ、あとで出しに行くよ。海に洼まれた仆たちの爱、でも、思うだけなら、许されるだろう。友子、仆の思いを受け取っておくれ。そうすれば、少しは仆を许すことができるだろう。君は一生仆の心の中にいるよ。结婚して子供ができでも、人生の重要な分岐点にくる度、君の姿が浮かび上がる。重い荷物をもって家出した君、行き交う人混みの中に、ぽつんっと伫む君、お金を贮めてやっと买った、白のメリヤス帽を被ってきたのは、人混みの中で、君の存在を知らしめる为だったのかい。见えたよ、仆には见えたよ、君は、静かに立っていた。七月の激しい太阳のように、それ以上、直视することはできなかった。君はそんなにも、静かに立っていた、冷静に努めた心が、一瞬热くなった。だけど、心の痛みを隠し、心の声を呑み込んだ。仆は、知っている、思慕という低俗の言叶が、太阳の下の影のように、追えば逃げ、逃げれば追われ、一生。

  友子、自分の疚しさを、最後の手纸に书いたよ。君に会い、忏悔するかわりに。斯うしなければ、自分を许すことなど少しもできなかった。

  君を忘れた振りをしよう。仆たちの思い出が、渡り鸟のように、飞び去ったと思い込もう。君の冬が终わり、春が始まったと思い込もう。本当にそうだと思えるまで、必死に思い込もう。そして、君が、永远に幸せであることを、祈っています。

 

《海角七号》观后感:梦想只要坚持,命运终将报偿

    在台北奋斗15年一无所获的主人公阿嘉,用力将象征人生梦想的吉他砸碎,载着满腹的不甘与失落回到故乡,也真实的反映出当下许多年轻人背井离乡,到大城市追求人生梦想却历尽坎坷,不得不向现实妥协的社会生态。一个写着日据时代旧址“恒春郡海角七号番地”的老邮包,一个为了度假中心演唱会而组成的“草台”乐团是影片推进的两条主线,而影片情节却简单到用几句话就可概括。七封写于六十年前的老情书以感伤的日语旁白,适时地填充电影里每一个过场。两条情节主线一喜一悲,让人很难定义这是部喜剧还是悲剧。

  或许,正是这样的安排才更好的体现了我们这个时代的特征:一切既向前快步发展着却又难免于失落的惆怅,内心有抗争同时又在妥协,生活看似绝望但不经意间却又暗藏了希望,每个受环境操纵疲于奔命人生,梦想却始终不屈不饶顽强的生长。经过漫长一甲子的等待,老婆婆终于等到了旧情人不辞而别的答案;伴随着那个尘封已久却又被重新被发现的地址,阿嘉也找寻到了曾经失落的梦想与新生的爱情;穿越历史的曲折,那艘曾经一去不返的航船,好象又悄悄开回国境之南的港口;透过泛黄的信笺,两个无法彼此相守的灵魂,此刻却又再次重逢……

  的确,现实当中是有太多令人无奈的迂回和曲折,但人不可能没有梦想而活,当面对生活的遗憾时候,我们更愿意勇敢的相信,只要坚持,梦想终将得到命运的报偿。

 

《海角七号》:七封情书光影留证 青春万岁

  故事

  一个失意的摇滚青年阿嘉(范逸臣饰)从台北回到故乡——台南的某海边小城。小城里的高龄邮递员茂伯在工作中摔伤,阿嘉临时顶替了他的工作,也因此得到了七封迟到了60年的书信:日本战败后,一个日本教师在回国的途中写给台湾恋人友子的信。阿嘉在寻找友子的同时,无奈加入一只临时拼凑起来的乐队,为即将到来的海滨演唱会表演。除了阿嘉是内行,键盘手是个整天哼着流行歌曲、发育未完全的小女孩;会吹口音的被拉来当了吉他手;只会弹月琴的茂伯甚至也客串了一段时间的贝司手……另外,一位也叫友子的日本女孩(田中千绘饰)则负责监督乐队的排练,她和阿嘉的关系也从最开始的格格不入开始转变。以阿嘉的人生起伏为电影主线,满眼是台南的风土人情,人与人之间复杂的关系,三代人之间冲突与和解,理想的失落与再生,爱情的幻灭和追逐等丰富多元的因素都涵盖其中。

  

在《海角七号》的故事中,阿嘉带领一群外行人从一个草台班子变成有模有样乐队的过程就是内核所在,不过这件事很难被称为“青春成长事件”,因为除了范逸臣一个人还在青春的尾巴上,乐队里就只剩下未成年少女、失意中年男和暴躁老人了,看完全片我们只能说他们的精神确实很“青春”。《海角七号》的主旋律是滑稽的,先是在毫无竞争性可言的海选中确定了乐队的阵容,虽然在排练中屡遭不顺,主力也频频换人,只会弹月琴的茂伯竟然变成了贝司手,在演出时大家都穿上了印有米酒广告的T恤……

  乐队的故事当然谈不上新鲜,范逸臣和田中千绘的表演只能说是差强人意,不过让人眼前一亮的是两个非常抢戏的配角——未成年少女大大和暴躁老人茂伯。大大其貌不扬,出落成美女的可能性不大,但是她在电梯中的一段几乎没有台词的戏完全称得上惊艳!大大以成45度角仰望的姿势站在电梯口,旁若无人地哼着小酸曲“情是什么玩意,只不过是玩玩而已……”那气场强悍到无以复加,在此我们只能预祝她早日成为演技派。与大大的老成不同,茂伯就是一个胡搅蛮缠倚老卖老的暴躁老人,当他发现自己确实不能胜任贝司手的时候便主动推荐了马拉桑,当大家同意这个意见时,茂伯却发火了:“干!要回答地这么快吗?不考虑就回答,我是老年人嘢,我的心肝不是铁打的,我也会伤心的!”最后茂伯还是为自己争取到了摇铃手的位置,不过他却在排练的时候大发脾气,还企图当主唱,在最后关头甚至还表演了一把月琴,用茂伯自己的话来说他“就是宝贝,惹得起吗”?

  爱情

  爱情当然是每部青春电影难以回避的元素,因为那个时候的爱情是最美好的,说白了就是最好骗人眼泪的部分。《海角七号》的高明之处就在于:虚幻和现实爱情两条线并行,一方面是迟到了60年的七封情书娓娓读来,另一方面则是阿嘉与友子渐生情愫。

  不过现实的爱情发生得太突兀,刚刚还在别人婚宴上翻白眼,一觉醒来阿嘉与友子就躺在了床上。更让人受不了的则是阿嘉的表白,冲上去抱着友子就说“留下来,或者我跟你走”,真是白白浪费了大好海景。说来说去还是怪两位主角演技尚嫩,没有流畅表现出情感的起承转合。反而是虚幻的爱情,成了全剧最浓墨重彩的一笔。配合着轻柔的音乐,七封情书用男中音娓娓读来,时而是60年前的情景再现,时而应和的是当下的人物心情,每一封都让人动容。尤其是最后一封——“我想我会把你放在我心里一辈子,就算娶妻生子,在人生重要的转折点上,一定会浮现你提着笨重的行李逃家,在遣返的人潮中,你孤独地站着,你戴着那顶存了好久钱才买的白色针织帽,是为了让我能在人群中发现你吧!我看见了,我看见了……”当离别的情形再现,当一双颤抖的手展开信纸的时候,没有人不流泪的。而且片中的七封情书都是导演魏德圣自己撰写的,字里行间流露出的真挚情感让人为之叹息悲伤,其优雅与绵长的气质正是网络时代快餐文化时代所欠缺的,尤显珍贵。

 

电影原声带:艺人:范逸臣

14.第七封信/情书

  一直到 双手像枯树一样斑驳

  这些字 才想起了当时的温柔

  一直到 邮差走过千万个门口

  这些信 才想起了流浪的理由

  一封封 情书穿越缓慢的时空

  代替我 来不及说的含情默默

  我相信 离开终究会有始有终

  有一天 我将会为你描写彩虹

  Music...

  一直到 海角吞没船尾的脸孔

  这港湾 才扬起那咸咸的海风

  一直到 时间终于一去不回头

  这些信 才回到我爱人的手中

  一封封 情书穿越缓慢的时空

  代替我 等了好久的十指相拥

  我知道 回去不一定一路顺风

  只希望 有天好好梳你的白头

  只希望 有天好好梳你的白头

  End

0

阅读 收藏 喜欢 打印举报/Report
  

新浪BLOG意见反馈留言板 欢迎批评指正

新浪简介 | About Sina | 广告服务 | 联系我们 | 招聘信息 | 网站律师 | SINA English | 产品答疑

新浪公司 版权所有