[转载]日本人眼中的应县木塔

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应县木塔位于大同西南 70公里的地方,正式的名称叫“佛宫寺释迦塔”。1056年创建,当时为辽代,大同为那个时代的陪都。木塔高达67米,作为木结构建筑,在世界上是在最大级别的。木塔使用了粗大的木头,全部由木材组建,没有使用铁钉之类的东西。
曾经是(日本)法隆寺宫木匠的西冈常一先生,就这个木塔讲过:法隆寺使用的技术,在这个木塔里也全都有。所以,明白了法隆寺的技术是由中国传过来的。但是,应县的木塔短粗而胖,而法隆寺的塔要优美得多。那是因为塔檐向前突出的缘故。因为应县木塔建在干燥的地带,即使塔檐短些也可以,而日本多雨,所以塔檐不长些的话,就会被雨淋而腐烂,在我模糊的记忆中,就是这么一种情形。在技术的转移方面,那样的问题成熟之后再传播,即使现在也是一样的吧
由于内部的构造,以前是能够攀登到三层的啊!,从不久之前起,只能上到二层了。今年的3月我到达那里,因为中央的指示,只能够进入一层这部分、而不能够再往上攀登了。嘿!因为(木塔在时光的)流逝中发生了倾斜之类的情况,那是理所当然的吧,遗憾是有的。
高见邦雄
2009年5月22日
以下是日文的原文,供懂日语的网友参阅
(276話)応県の木塔
応県の木塔は大同の西南70kmのところにあり、正式には仏宮寺釈迦塔といいます。1056年の創建で、ときは遼代、大同はそのとき副都でした。高さが67mもあり、木造建築物としては世界最大級です。カラマツの大径木がつかわれ、すべて木組みで建てられ、鉄釘などはつかわれておりません。
法隆寺の宮大工だった西岡常一さんがこの塔について語っています。法隆寺でつかわれている技術はすべてこの塔にもある。だから法隆寺の技術は中国から伝わってきたことがわかる。しかし応県の木塔はずんぐりむっくりだけど、法隆寺の塔はずっと優美だ。それは軒が長くせりだしているからだ。応県の塔は乾燥地にあるから軒が短くてもいいけど、日本は雨が多いので、軒が長くないと雨があたって腐ってしまう。私のうろ覚えでは、そういうことでした。技術移転にそういう問題がついて回るのは、いまでもいっしょですね。
以前は内部構造で3階まで昇ることができたんですよ。しばらく前から2階までになりました。この3月にいくと、中央のお達しで、1階部分にははいれるけど、うえには上がれなくなっていました。まあ、途中で傾いたりしていますから、それが順当なところでしょう。ザンネンではありますが。