YOKA WAO CONCERTを観て
ENAK編集長、和央ようかにしかられる
1月29日(月) by ENAK編集長
客席の通路を走りながら、観客をあおる和央ようかを、ぼうぜんとして見つめているとバックダンサーふたりが黒いお立ち台を、僕の席の斜め前の通路に置いて立ち去った。やがてお立ち台のそばにやってきた和央は、つまりは僕のほぼ目の前で、彼女が指定したふりつけを一緒にしようと、さらに観客をあおり続けた。
やがて、観客が総立ちになっている中で席に座り続けている僕に気づいた和央は、キッとした表情で近づいてくると「ほら、そこ! 何やってんの!!」。立って一緒に踊れと、僕は和央ようかに怒られてしまったのだ。
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昨年7月に宝塚歌劇団を退団した宙組元トップスター、和央ようかの、退団後の“初仕事”である「YOKA WAO
CONCERT」。今月19日から28日まで東京?青山劇場で行われた、そのコンサートの25日の公演を見た。
取材というよりも機会をいただいたので拝見しに行った、といったほうが適切なので、記事にするつもりはなかったけれど、怒られてしまったこともあり、せっかくなので、感想程度でしかない雑文になるものの、記しておこうと思う。
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コンサートは2部編成で、基本的には10人編成のバンドと8人のダンサーを従えて和央が歌い踊る構成だ。演出は宝塚の演出家、小池修一郎。宝塚時代の相手役で同時退団した花總まりも出演した。
「THE MAGIC
BREEZE」という楽曲で幕開け。舞台中央がせりあがって和央が登場。薄い青色のジャケットにパンツ姿。ジャケットの下は、たけの短い、ベストのようなものを着ており、おなかを出しているのにびっくり。
宝塚時代なら素肌をさらすなんて考えられないし、そのうえ、これが、まあ、おへそまで丸出しなのだ。この文章の冒頭で僕がぼうぜんとしていたのは、その“ヘソ出し”に、びっくりしてしまったからなのだ。
さて、3曲目「虹が見える日」で、アップテンポの曲に乗って和央は客席を走り回った。リズムに合わせて右人差し指で宙をクルクルとなぞり、次いでほほを2回たたく。そんな振りを観客とともにしながら。そしてくだんのお立ち台にあがり、さらに観客を盛り上げたのだけれど、その際、ボケッと座っていた僕はしかられてしまった、というわけだ。
うまいな、と思った。
もちろん、ほんとうに怒ったはずもない。僕が座っていたあたりは僕のほかにもいわゆる“招待客”がいたわけで、そういう“一帯”は、観客がどんなに盛り上がっても、立ち上がったりは、たいてい、しない。僕は産経新聞の音楽担当記者時代に日本武道館でも東京ドームでもそういう一帯にいたのでよくわかる。
武道館やドームのような巨大な空間なら一部“陥没”していても、めだちはしないかもしれないけれど、青山劇場ぐらいの規模だと、その陥没は全体のノリに、もしかしたら影響を与えるかもしれない。そういう席の人間をもいやみなく巻き込むことで、全体のノリをさらによいものにしようとしたのだ。和央、エンターテインナーとしてたいした心得の持ち主だ。
実際、「あ、すいません」とやおら立ち上がった、僕を含む招待客らの行動のこっけいさは、客席に笑いをもたらし、観客の一体感を強めるのに、多少なりとも役に立ったはずだ、と自負してもいる。
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2幕冒頭の語りを聞いても、客席との交流のうまさには、ほんとうに舌をまいた。歌手あるいはダンサーとしてどうこうというよりも、総体的なエンターテインナーとしての、堂々たる立ち居振る舞いに感心させられた、というあたりが、僕の感想の総括になるだろう。
そういう“うまさ”について、もっといえば、本編最後の歌は賛美歌「アメージング?グレース」の独唱だったが、これをうたい出すまでの間のとりかたも見事だった。前曲が終わり、客席からヤンヤの声がかかる中、舞台中央でうつむいた和央は微動だにしない。あまりに動かないので客席が「何事か」と静まりかけた瞬間、やおらうたい出した。さっきまで大騒ぎしていた観客の気持ちを見事に切り替えさせ、静かな独唱に一気にひきつけてみせた。
ヘソ出しにはびっくりしたが、これについては、和央が今回さらしたのは、何もおなかばかりではなく、宝塚時代には抑え続けていただろう素顔の部分を強調したかったのだと、とらえるべきなのだろう。
2幕冒頭の語りは、観客が事前に文書で提出した質問に答えるというスタイルで行われたのだが、宝塚時代、東京公演の際はいつもマイカーで上京していたなど、舞台から「私」についてよく語った。熱心なファンはすでに知っていることなのかもしれないけれど。
実際、今回のメークも「ナチュラルに」をテーマにしたという。自然体ということなら、宝塚時代も終盤に至るころは可能な限り自然な自分らしさを出そうと心がけていたのだとも明かした。
語りに続いて披露された「夢はいつでも」という、宝塚演出家の小池が歌詞を書いた歌は、「友達に誘われて宝塚音楽学校を受験した…」と足跡を振り返りながら自分を見つめる内容で、やはり素のままの自分をできる限り見せたいという気持ちを表していたのだろう、と考えている。
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タンゴに挑戦するコーナーでは、花總とのデュエットダンスで見事なリフトも披露した。2005年12月のライブショー「W-WING」では、フライングの場面の事故で約2メートルの高さから落下し、骨盤骨折というトラブルに見舞われていただけに、回復ぶりを大いにアピールした。
終盤で「WING」という歌も披露され、あるいは「W-WING」の中断の“償い”の意味合いも、今回のコンサートにはあったのかもしれない。そんなこともあるのか、あえて「女」に「女優」にならず、男役のにおいのを色濃く残したままなのは、うれしかった、というのもまた、個人的な感想の大きな柱のひとつ。
舟木一夫「高校三年生」に始まったアイドル歌謡メドレーは、ナチュラルメークにより現役時代より少年っぽさが強くなっている和央には、よく似合った。
けれど、その後のフランク?ワイルドホーン(米ミュージカルの作曲家で退団公演「NEVER SAY
GOODBYE~ある愛の軌跡~」で音楽を担当)のメドレーのほうがもっと似合った、と思っている。
歌手としての和央について考えると、歌詞でストーリーを伝えるよりも、歌の主人公の感情をダイレクトに聴き手に届けるタイプではないか。とすれば、物語はすでに前後に存在し、ゆえにその存在意義が感情を伝えるためであるという精核がり強い歌、すなわちミュージカルナンバーのほうが素材としては合っているのではないか、なんて考えるからなのだけれど。
なお、あえて宙組時代の相手役だった花總について言及するなら、まるで影のように和央に寄り添う姿には驚いた、というのが率直な感想だ。
なにしろほとんど出てこない。トップスターの相手役としては在任期間最長の記録を宝塚に残した、いわば希代の娘役だったが、その経歴も才能も、なげうって、あるいはそのすべてを注ぎ込んで、ただ和央の舞台を引き立てるための立ち位置を選んだわけで、きっと、そこには花總なりの娘役の美学というものがあるのだろう、なんて想像してしまう。宝塚においては男役トップスターこそが真のスターであり、娘役トップというのは、スターを引き立てる相手役でしかない、というような。
まあ、そんな感慨はよけいなお世話でしかないのだけれど。
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アンコールにこたえて和央がうたったのは、退団公演の主題歌だった「NEVER SAY
GOODBYE」。サヨナラは、いわない。
あらかじめ、今回は取材ではない、とことわらせてもらったけれど、今後和央がどのような道を歩むのか、僕はしらない。客席とのキャッチボールが巧みであるというエンターテインナーとしての資質をまざまざと見せつけられはしたが、その才能をさらに活用していくのかどうか。
ただ、会場で売られていたパンフレットには、小池がこう寄せ書きしていた。「和央ようかは、永遠にお客さまにサヨナラを言わないに違いない。そして、これからもヨロシク!!」
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和央は、東京公演舞台稽古の後の会見などでは質問に対してはいつも率直に、質問した相手をまっすぐに見返して答えてくれたものだった。だけど宝塚を退団する際、ほかのトップスターと違って退団記者会見をしなかった(東京公演千秋楽では会見したけれど)。最後の最後になって愛想がなかった、といえる。
けれど、この日僕をしかったとき、という言い方はもうやめようか、ノリの悪い招待者席を演出の一環として巧みに巻き込んだとき、そのときの目は、しかし、いたずらっ子みたにキラキラしていた。あれこそが和央の本当の目の輝きなんだろうな。
そうそう。そのとき和央は、矢沢永吉みたいに、自分の名前が入ったタオルを首に巻いていた。肩にかけていたといったほうがいいのかな。
終演後、公演関連グッズの売り場をのぞいたら、そのタオルを売っていたので、思わず買ってしまった。いい記念になったなと、なんだかうれしかった。
YOKA WAO
CONCERT 25日午後7時から、東京?青山劇場。同9時30分終演