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日本平安時代と中国唐朝の官制比較3

(2007-10-16 08:04:37)
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人文/历史

官制

 

以上の説明からすると、近衛大将は天皇の禁軍の統領するもので、唯一の武官公卿である(衛門督と兵衛督は従四位の相当官で、近衛大将は従三位の相当官)〔図2〕。また、武官といっても、公家の一員として、だんだん貴族化され、唯の名誉な官職になっていた。

 これに対して、唐の大将軍はどのような官職であろうか。大将軍は二つの意味が含まれている。一つは官品の大将軍で、従一品から、正三品上までの武散階の名は「XX大将軍」である〔図3〕。もう一つは実際の職で、十六衛(左右衛、左右驍衛、左右武衛、左右威衛、左右領軍衛、左右金吾衛、左右監門衛、左右千牛衛)の次官(長官は上将軍という)及び八軍(左右羽林軍、左右龍武軍、左右神武軍、左右神策軍)の長官の称呼である。その職掌は、大体近衛と同様で、禁中を警衛し、行幸のときは供奉するものであったが、唐の軍隊の規模は日本に比べて、はるかに大規模で、軍隊の数と名目は日本の数倍、いや、数十倍と言えよう。武官に対する態度も日本と全く違い、その相違は両国の国情に根ざすと考えられる。

 日本は島国で、あまり周囲の国と接触がなく、そのために、戦争などの影響をあまり受けず、軍事と軍隊も重要性が低くなっていき、近衛府は単純に形式的かつ装飾的なものに転化していった。それに対して、中国は古代から、外国との戦いが続き、漢の時代の匈奴、唐の時代の外夷などが、いつも中国を脅かしている。国家の隆盛の一つの重要な目印は、大量の軍隊を維持することで、武官は朝廷にとって、欠かすことのできない存在である。それゆえ、武官にもそれなりのシステムができあがり、皇帝の禁軍的性質を持つ十六衛及び八軍は、万が一戦争が起こったとき、一番戦闘力の高い部隊であった。晩唐の時、その禁軍を操る宦官が、皇帝を廃立する権力まで手に入れたのも、当然である。唐の大将軍が日本の近衛大将と比べ、武官らしいといえるが、軍隊の指揮権は実際のところ皇帝及びその周りの宦官にあった。

 

1.日本の大臣と唐の宰相

 まず、日本の律令制度の大臣という概念を説明したい。ここでいう大臣は、「内大臣」を除く「太政大臣」「左大臣」「右大臣」の総称である。この三者の関係についてはいろいろな説が存在し、太政大臣を別格とし、左大臣は長官、右大臣を次官と見なす考え方もあるが、通説的には、太政大臣・左右大臣が長官、大納言が次官と考えられている。

 太政大臣は則闕官のため、ここでは考察せず、主に左右大臣の職掌を考えてみる。職員令2太政官条の左大臣に以下のようにある。

 統理衆務、挙持綱目、惣判庶事、弾正糺不当者、兼得弾之。

訳すと「政務を統治し、綱目を掲げ持ち、庶事を惣判すること、つまり、太政官の政務を実質的に総裁し、また、弾正が糺すことのできないような事件・事柄があった場合、これを弾劾する」という意味である。

 右大臣の職掌は左大臣と同じで、左大臣が欠員の場合や、何らかの事情で出仕しない場合、または、左大臣が関白を務めている場合などに、代わって太政官の政務を総裁する。左大臣の別称は『一の上〔いちのかみ〕』で、官中のことをすべて統領したことに由来するものである。つまり、左大臣がいるとき、左大臣が朝廷の政務を総裁し、左大臣がいない場合、右大臣が全権を持って、総裁する。この点から見ると、日本の大臣は秦及び漢の時代の丞相のような存在といえる。

 しかし、唐の時代には、丞相という官職はなかった。その代わりに、宰相の職が存在したが、宰相は日本で参議の別称である。これは一体、どういうことであろうか。唐の宰相の概念は『新唐書』巻四十六百官志一によると

宰相之職、佐天子総百官、治万事、其任重矣。(中略)初、唐因隋制、以三省之長中書令、侍中、尚書令共議国政、此宰相職也。其後、以太宗尝为尚書令、臣下避不敢居其職、由是仆射为尚書省長官、与侍中、中書令号为宰相、其品位既崇、不欲轻以授人、故常以他官居宰相職、而假以他名。自太宗時、杜淹以吏部尚書参議朝政、魏徵以秘書監参预朝政、其後或曰“参議得失”、“参知政事”之类、其名非一、皆宰相職也。(後略)

 以上の説明から、次のようなことがわかる。①宰相は実に地位が一番高い官職で、秦漢の丞相と同じぐらい職掌である。②宰相と名乗る官職は存在しない。唐の官品令には、確かに「宰相」は見えない。③宰相の仕事は一人ではなくて、数人で分担する。④宰相の仕事をする者は、他の官職に就いている。

それに対して、日本の「参議」とは、太政官の議政官の最末席につながる地位として、主に八省卿や左右大弁クラスの官人に与えられた官職である。多分この官職名は「参議得失」から生まれたのであろう。一見すると、「宰相」と「参議」は全く異なる存在であるが、実はその借りは巧妙であると思う。広義の「参議」には、大臣と大納言、中納言、そして参議が含まれている。その広義の「参議」は、中国の「宰相」の意味とちょうど一致している。そのため、実は唐の宰相は日本の大臣より、ずっと権力が小さいと思われる。また、臣下の権力が小さいというのは、裏を返せば、皇帝の権力が大きいということである。この点から見ると、唐の皇帝は、平安時代の天皇より、統治権が大きいと考えられる。

 

2.むすび

 本報告では、中国の唐代と日本の平安時代の官制について、簡単に考察し、以下のような結論が得られた。

1、       日本の律令官制は「位」を重視し、唐の官制は「職」を重視する。その相違は両国の古代の国家構造の相違にある。

2、       日本の平安時代の軍事制度は不完全で、地理的環境の影響で、軍隊を重視しない。唐は反対で、膨大な軍隊を維持していたが、その軍隊が最後動乱の種になった。ここで、大胆な仮説がある。日本の平安時代の律令官制は、実は文官官制だけで、つまり、不完全な官制であったが、鎌倉時代以降の武家政権は、武官官制を作り出して、この両者が揃うことで、完全な日本官制が形成されたという仮説である。

3、       唐の宰相は、日本の大臣に比べて、権力が分散し、地位も低い。その反面、唐の中央集権、特に皇帝の権力の大きさの反映でもある。しかし、強力の中国皇帝は次々倒され、日本の天皇家は今でも存続している。これは、興味深い現象であると思う。

 

まだまだ勉強不足で、本報告の推測も間違いが多いと思われるが、今後、両国の官制から、政治、経済、歴史など、いろいろな面の検討をしてみたい。

 

参考文献

『新唐書』

和田英松『官職要解』明治書院(1927年6月)

臧云浦 朱崇业 王云度 『歴代官制、兵制、科挙制表釈』江蘇古籍出版社(1987年4月)

向以鮮 鄭天剛 訳『中国歴代職官辞典』中州古籍出版社(1987年9月)

村井康彦 編『公家と武家――その比較文明史的考察』思文閣出版(1995年10月)

春名宏昭 『律令国家官制の研究』吉川弘文館(1997年7月)

阎步克『品位と職位』中華書局(2002年2月)

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