歓酒
本好きだからといって図書館長に推されて3年、柏図書館や図書行政にもずいぶん精通できたように思います。任期が明けてからのこれからは、広い閲覧室で悠々と読書する醍醐味をたっぷりと味わいたいと思っております。この3年で、柏図書館は、夜間開館はもとより土曜開館も実現し、キャンパス図書館として過不足無いサービスが可能となりました。その陰には図書職員の奮闘があったことは申し添えるまでもありません。また、外国人留学生を含むジュニアTAによる選書なども実現し、英語によるガイダンスなどとあいまって、柏キャンパスの国際化にも大きく貢献したのではないかと思っています。「実査」という言葉を初めて知ったのもこの頃です。1冊ずつ実際に図書館にある本全部チェックするのが実査で、これがなされて初めて図書館の蔵書を確定することができます。どころで、柏図書館の蔵書の数をご存じでしょうか?
336981冊です。これはこれからも増え続けます。学内の保存書庫というのも柏図書館の重要な機能だからです。
上映会や「わくわくミニコンサート」も柏図書館の魅力の一つです。今や図書館は蔵書と閲覧?貸出しという図書館本来の基本的な
想起来长久不更新的原因是有的时候去微薄了。
weibo.com/lnbuaa 欢迎关注
感动中国是我这10年以来一定要看的节目。来了日本之后也不例外,虽然没有办法看直播,托youtube的福,第二天就可以看到了,刚才也一样,又一次沐浴在感动中。
今年,和以往一样,逝去的一些生命没有减弱他们对于这个世界的影响,朱光亚先生,上大学之后10多年来一直景仰的科技界前辈。
在青藏高原支教的夫妇,做着自己一直都想做却没有办法去做的事。
白方礼老人。。。。
很多很多,泪水。。。
今年开始的5年内,努力做起一个和教育相关的项目。。
地震之后,我们经历了恐慌,日本民众经历了恐慌和煎熬。
我们经历了核辐射,日本民众还经历了避难生活
我们经历了经济紧张,他们到处缺钱。
真挺不容易的。
不过,人家的新干线依然正常运行,说几十年来没有出过重大事故,是日本人的骄傲。。。而我们。
这个民族,很有精神,值得学习。
今天碰到姑姑了,在MSN上,她开通了围脖,于是乎,我也就开通新浪微博了。weibo.com/lnbuaa
4月9日正午のニュース
かきな 菜名
ほうれん草を鎌で刈り取ったあと、袋詰め
太田市は県内でも栽培が盛んな地域ですが
JA全農ぐんまでは「関係機関と連携して農家への補償を進めるとともに、風評被害もあるので群馬の野菜の消費拡大に取り組んでいきたい」と話しています。
津波の有り無し
新しい情報が入り次第お伝えします。
出漁を見合わせている茨城県北茨城市で、漁業者などが集まって対策会議が開かれ、市長は一部の漁業者を臨時に雇用する方針に
北茨城市の大津漁協は、マイワシの水揚げが年間およそ1万8000トンと全国有数の漁獲量がありますが、福島第一原子力発電所の事故の影響で、出漁を見合わせる状態が続いています
この中で、漁業者は、千葉県の銚子沖で行っていた漁でも市場での売値が通常の半値以下に落ち込んで、現在は出漁を見合わせていることや、今後はイワシ漁を行う場所が福島県沖などさらに北に移動するため、全く魚を取ることができなくなるおそれがあると不安を訴えました。
来週にも菅総理大臣に早急(さっきゅう)な事態の収拾(しゅうしゅう)を
NHK每天新闻听写,全文没有时间写了,就发写重点的句子和单词吧。
2月1日朝7時のニュース
おはよう御座います。7時のNHKニュースです。はじめに、この時間お伝えするおもなニュースです。民主党の小沢元代表が自らの政治資金をめぐる事件で、検察審査会の議決をうけ、政治資金規正法違反の罪(つみ)で、強制的に起訴されました。小沢元代表は何一つ疚しい(やましい)ことはないとして、争う姿勢を示しており、裁判では、検察役の指定弁護士と小沢元代表側が全面的に対決することになります。鹿児島と宮崎の県境(けんざかい)にある霧島連山の新燃岳について、気象庁は山頂にできた直径およそ500メートルの溶岩ドームの大きさや温度を継続して観測し、 火砕流の危険がないか監視していくことになりました。大規模な反政府でもが続くエジプトでは、首都カイロ で1日にさらに大規模なデモが呼びかけており、緊張が高まっています。このようなニュースを伝えします。福井県内の大雪のため、車が立ち往生し、通行止めとなっていた、 北陸自動車道は除雪(じょせつ)作業がつづき進み、昨夜の上り線に続き、下り線も今日午前6時半に通行止めが解除され
没有想到,在日本的留学生活之中要经历这样大一场灾难,幸而,对于我,对于我们身边的人而言,仅仅只是经历了一场灾难。
灾难那天,我在和光参加一个会议,一楼而已,很快就跑到了外面空旷的广场上,只是觉得在屋内的时候走路有些困难,然后,那一晚,没有办法回到家里。
之后,之后的事情就如大家知道的一样,很严重,很严重,地震所伴随的海啸给这个小小的岛国大大地撞击了一下。真的只是不知道还会发生什么,我们地震后的第6天,逃离了东京。
不回国的原因只是因为自己知道,这里的东西不可能完全被抛弃,我上了一半的学业,自然成为我们跑到关西旅游的一个重要的原因,后来看,也正是因为这个,确实让自己避免了一次无所必要的恐慌。
关西和关东确实是有很大的不同的,从历史,从语言,从文化。。。。。
在平静祥和的关西,通过电视去感受这场巨大的灾难,心头却并没有那样地感伤。
终于,还是回到了生活了2年半的家里,一切照旧地生活了起来,饮水和食物上有很多注意,储存了不少的纯净水,幸好居住的这个地方不大,也没有脱销。
一切正在好转,所有人都在期盼核电站被控制住,被控制住,这将会是全人类的灾难
爸妈又走了,ph的心情也没有之前的那么好了
ph的爸妈来了,开心地过年。