在开发Framework的过程中,不可避免的要用到已有的动态链接库中的导出函数(此处只讨论C++写的WIN32下的标准dll,托管语言编写的dll很容易被反编译回开发语言,此处不做讨论),除去WINDOWS自带的dll外,都可能涉及到版权问题,所以,程序开发者并不希望有版权问题的dll出现在程序的目录中,解决方法就是将dll合并到自己写的程序中。如果是.net写的dll和程序,合并很容易,Microsoft提供了合并工具ILMerge(具体使用方法不在此处讨论),但C++写出的WIN32标准dll就没那么容易合并了。
在网上搜索了很多资料,只有一个被到处转载的合并dll的文章中所说的方法可行。方案是把一个 DLL 作为资源文件放到 EXE 文件中,在程序运行时,分配一块内存,然后将此资源复制到该分配的内存中,并根据该内存地址计算得到相关的导出函数地址,然后,当我们需要调用某一函数时,可以用该函数在内存中的地址来调用它。 此方法对于合并exe文件同样有效,只要是PE文件都可以如此使用。
改代码给出的是一个winMain程序,这种函数的特点是程序运行是系统会将程序句柄传给第一个参数,但如果是写一个WIN32标准dll没有dllMain函数的话,此句柄就要自己来获取。GetModuleHandle(NULL)可
千秋楽·最後の一歩からのスタート
雅楽で、いつも最後に演奏する曲が千秋楽という曲だそうです。
「千秋」は、「一日千秋の思い」の「千秋」と同じ、千年という意味で、幾久しく寿ぐという意味がある曲だそうです。
これから続く長い歳月、ずっとずっと、祝福できる世の中でありますように…。そんな願いを込めて、奏でられる音楽なのですね。
やがて、芝居や相撲など、興行の最終日をさすようになりました。
略して、「らく」ともいいますね。
最後に際して、いえ最後だからこそ、これから続く日々に思いをはせる…。
この話もあります。
「いつかゴールにたどり着くのではない。一歩一歩が、ゴールであり、スタートなのだ!」
明日·特別な気持ちで迎える朝
明日は、もともと朝という意味でした。それが、中世以降、前夜に特別なことがあった次の朝をさすようになり、やがて、翌日という意味で使われるようになったそうです。
私たちの細胞は、日々生まれ変わっています。今日のあなたは、昨日と同じではありません。そう思おうと、毎日が、特別な朝といえるのではないでしょうか。
明日という漢字が意味するのは、太陽が明るく照っている時間ということだそうです。それでもやがて迎える日を、明るい日と書くことができるなんて、こんな幸せはありません。
今まで、どれだけの人が、祈るような思いをこめて明日と書き記してきたことでしょう。どうか、あなたの明日も、明るい日でありますように
故郷·忘れ難き場所
昔は、「以前、都などがあって栄えていたが、さびれてしまった土地」のことも、「かつて、一度でも行ったり、住んだりした土地」のことも故郷といいました。
二つ目の、一度でも行ったことのある場所を故郷という感覚は、今のように、頻繁にどこへでも行ける時代ではなかったからでしょう。一度行った土地は、それだけで、特別な地と思えたのですね。
気軽にどこへでも行けるようになった分、一度行った場所に対する愛着も、薄らいでしまうのかもしれません。
ここも故郷だと思って、その地を踏みしめてみれば、見える景色も変わってくるような気がします。
故郷を思うように,懐かしく,いとおしく,思い出せる場所たくさんあるなんて,素敵ですものね。
元気·新鮮なうちに…
元気は、天と地、そのすべてのものにある根本の「気」だそうです。
生命のエネルギーということですね。
「元」と書くとおり、もともと、この世界に溢れていて、誰でもが持っているものだそうです。
本来、生命のエネルギーが溢れているはずなのに、どうして,元気がなくなるのでしょう。
もしかしたら、元気は、なまものなのかもしれません。使えばどんどん新しく補給できるけれど、使わずにためておけば腐っていってしまう…。
それなら、どんどん使いましょう。周りの人にも、振りまいて、分けてあげましょう。
そうすれば、あなたが、また新しい元気をもらえることになるのですから。
箒星·天のお掃除
彗星のことです。彗星の「彗」という字も、手で草ぼうきをとって、掃いている様子を表す漢字だそうです。
箒は、もともと「ははく」。鳥の羽を使っていたので、「羽掃く」といったのだそうです。
「掃星」という呼び方も残っているので、この箒星も、掃除用具の箒に似ているから、というより「ははき星」が変化したものではないでしょか。
天が穢れを掃き清めていると、考えられていたようです。
昔は、どちらかというと、不吉なものと考えられ、妖星と呼ばれたり、出現すると世が乱れるとさえいわれたそうです。
でも、星を見ていると心が洗われるような気がしませんか。
本当は私なちの心を掃き清めようとしているのかもしれません。
大丈夫 · 心の中の大丈夫さん
「丈夫」とは、「ますらお」、つまり健康で、たくましい成人男子のことです。それを強調する「大」の字をつけて、大丈夫。つまり、そんな人がそばにいるぐらい安心で、心強いということです。
いつでも、そんな人がいてくれたら、本当に、心配ないですね。
でも、いるのです…それは,あなたの心の中に。
誰の心の中にも、いろんな自分がいませんか。傷つくことを恐れる自分、つい流されてしまう自分、現実から逃げたくなる自分…もちろん,前向きな自分も、頑張りやの自分もいるでしょう。そして、大丈夫さんも必ずいるのです。
あなたの大丈夫さんが、もし心の隅っこにいる時は、そっと呼びかけて見ましょう。ほら、にっこり微笑んだ。もう、あなたは、大丈夫。
小夜 どこまでも、さわやかに
小夜の「さ」は小さなものを愛でるときに使われる接頭語ですので、「ささやかな夜」という感じでしょうか。
夜に吹く風は小夜風、夜に降る雨は小夜時雨、夜鳴くカラスは小夜烏…。ロマンティックな響きに変わります。
小夜布団、小夜枕というと、普段使い慣れた寝具が優雅なものに感じられてきます。
夜中に目が覚めれば小夜の寝覚め。そして、一晩中は小夜すがらです。
夜、恋人の窓辺で奏でられたセレナーデは小夜曲と訳しますし、夜も美しい声で鳴くナイチンゲールは小夜鳴鳥です。
この「さ」という接頭語は日中を表す言葉には用いませんので、夜に特別な思い入れがあったのです。
絆 · 目に見えない心のつながり
もとは、馬や、犬、鷹などを木に結びつける綱のことで、「木綱」と書いていたのが、いつの間にか「きずな」になったようです。
「絆」という字も、つなぎとめるという意味の漢字ですし、「情に絆される」というと、情にひかれて、束縛されるという意味ですから、かなり、手かせ足かせのイメージの強い言葉だったようです。
でも、太い綱でしっかりと木に結び付けられている馬と、ほとんど結ばれていないのに、そばから離れない馬がいるとしたら、飼い主との心の絆は、どちらの方が強いでしょう。
心の絆、それは、目に見える形にしようとすればするほど、弱くなっていくものかもしれません。
自由だからこそ、強い絆を結ぶことができるのではないでしょうか。